「葬式は必要か?」というような、最近話題になっているテーマについての
新聞記事に、葬儀に関するジャーナリストが書いていた一言が引っかかりました。
「高齢になってからの葬式には、参列者はそう多くないから、葬式の意味は
それほど大きくない(だから、葬式はなくてもよい)」
だいたいそんなような意味のことでした。
そうか、高齢になると、人間関係もどんどん、どんどん希薄になるんだなぁ、
と思って、高齢者の寂しさの一端をかいま見た気がしました。
また、これも最近、話題になっていますが、行方不明の超高齢者です。
100歳を超えて、周囲に祝福される幸せな超高齢者もおられる反面、
今一体どこにいるのか、家族でさえ「知らない」と他人事のように言う
そんな方々も、大変多いということです。
退職して、社会との接点を失い、肉体や頭の機能が衰え、
気力まで減退したら、あとは、どんどん自分だけの世界に
入っていくしかないでしょう。
そうなると、いわゆる「引きこもり」状態ですね。
子供のうちは、まだ親がかまってくれるから、救いはあるものの、
高齢者の場合は、やっかい者扱いになるのがオチで、
どうも救いがありません。
2600年前、インドでお釈迦さまが、老いの問題に大変驚かれて、
出家する原因の一つになったと言われるのも、頷けます。
親鸞会で仏教の話を聞いている友人が言うには、親鸞聖人は、
90歳で亡くなられましたが、晩年まで精力的な執筆活動をされた
とのことで、生涯、布教に全生命を投入されたと聞きます。
私たち凡人とは比較になりませんが、それでも、仏教の教えの中に
何か、人生のヒントが隠されているような気がしてきました。
よく年を取ると頑固になると言われますが、ある科学者は、
年を取ったから頑固になるのではないと反論しています。
「高齢になって頑固になる人は、若いころから頑固だった人だ」
と言うのです。うーん、と深く頷かされるところがあります。
確かに老化によって前頭葉の働きが鈍くなり、
感情が抑えられなくなる、ということはあるでしょう。
しかし、それは現象の表面だけを見ていると言えます。
なぜかといえば、老人の全てが頑固になる訳ではないからです。
親鸞会で仏教の話を聞いている友人が、よく、
「因果の道理」ということを話してくれます。
話せば長くなりますが、世の中のことは全て原因と結果が
密接に関係していて、原因なしに結果が現れることはない
すべての結果には原因があるということです。
そして、未来の結果の原因は、みな現在にあるといいます。
年を取ってから現れるいろんな結果の原因の多くは、
若いころにあったということです。
分かりやすいのが、肉体の病気でしょう。糖尿病とか、
ガンとかの成人病も、今では生活習慣病と言われます。
長年の生活習慣が原因だからです。
食生活などの目に見える習慣もそうですが、目に見えない、
心の中で行われる、思考の習慣も、大事にしていきたいものです。
若いうちに作った原因のすべてが老後に一度に出てくるとしたら、
こんな恐ろしいことはないからです。
昨日のNHKの「クローズアップ現代」は、
社会的弱者に救いの手をさしのべるNPOを特集していました。
病気で外出がままならない子供への支援とか、
行政では対応できないサービスを提供しているNPOが
たくさんあることを知りました。
今話題になっている「高校の無償化」とか、「子供手当」にしても、
国民一律の対応では、いろんな欠陥が指摘されています。
(もともと授業料を免除されていた、本当に困っている人には
何の恩恵ももたらさないとか)
結局のところ、行政というのは、かゆいところに手が届く
という対応は、もともと不得手なのです。
年金とか、介護施設の問題は、国の制度の問題であり、
また箱モノであり、一般の国民がどうこうできる問題ではありません。
そんなものがたとえ充実していなくても、いや、
充実しているところは少数派でしょう。
「社会が悪い」、「◎◎◎が悪い」と制度の不備捜しをする前に、
私たちのもっと身近なところに、老後を明るく楽しく過ごすヒントが
隠されていないか、もっと考えてみなければと思います。
住友信託銀行が、老後の生活資金を試算しています。
http://senior.sumitomotrust.co.jp/kikou/secondlife/lifeplan/lp04.html
これを見ると、老後に新たに支払いが必要となるお金もあるということで、驚きました。たとえば、健康保険料です。在職中は、半分は会社負担ですが、退職とともに、全額自己負担になります。
そんなことを含めて試算すると、だいたい月21万円というところのようです。
こういう試算は、平均的な人を想定していますが、もちろん、人生いろいろですから、必要な額も幅が出てくるでしょう。働いている今でさえ、そんなにもらってないという人もありますから。
よく老後の人生設計が大事といいます。生命保険の営業の人は、人生設計のフローチャートのようなものを見せてくれます。何歳で結婚して、子供は何人、子供が卒業するころにはあれして、これして、と。老後の資金も今から計算しておかないと、と警鐘を鳴らします。
20代のころ、私もそのように人生設計を考えてみたこともありましたが、実際は、所期の設計とは全く違った人生を歩んでいます。人生には不測の事態が多すぎます。
そこで、不測の事態に備えて、入院費用はこれだけ、リフォーム費用はこれだけ、◎◎◎のためにはこれだけとまた、資金需要が増えていきます。そして最後は自分の葬儀費用でしょうか。最大の不測の事態ですね。
いつ仕事を止めるか、までは計画も立てられますか、いつまでこの世にいるかは、全く計画が立ちません。未来を考えるのは、難しいものです。
友人が親鸞会 (http://www.shinrankai.net/)で仏教の話を聞いていますが、何もかも不確実なこの世界で、老後よりも確実に訪れるのが「後生」だと彼は言います。確かに、若くして死んでしまえば、老後はないわけですが、後生は確実に訪れます。
その設計は、どうするのか。21世紀はそういうことが、もっと問題になってくるのではないかという気がします。
今や老後と言っても、20年~30年あると言われます。
これは、平均寿命を生き抜いたならば、という前提条件に立っています。
昨年末だったと思いますが、老後をどう過ごすかを長年研究していた男性が、
60歳を少し越えた年齢で亡くなったというニュースを聞きました。
改めて、老後というのは、全員にあるものではないんだな、ということに気付
きました。
さて、これも以前、NHKのテレビ番組で見たのですが、幼児とお年寄りが一
緒に助け合って暮らす施設が紹介されていました。
軽い認知症になったお年寄りが、5つか6つの子供の世話という仕事を与えら
れると、やる気が出て、それまで自分では歩行できなかったのに、子供を追っ
て歩いているのに、みんな、びっくりしていました。
子供は子供で、偏見を持たずにお年寄りと接するので、非常にいい関係ができ
ていました。
四国か関西のどこかだったかと思いますが、いろんな家族や独り者が一緒に共
同生活するアパートがあるそうですが、都会のマンションのような冷たい隣人
関係ではなく、温かく濃密な関係を持って、明るく朗らかに生活している。
やはり人間は一人では生きていけません。このような家族を越えたヨコのつな
がりによるコミュニティーを復活させることで、穏やかな老後を過ごすことが
できるような気がします。
高額な保証金や入居費を払って入った老人施設で、寂しく暮らす人もありま
す。そんなお金を持たないため、苦しんでいる人もあります。
お金があればいいですが、もっと大事なものを見失ってはいないだろうかと、
今の生き方も見直してみるのもいいかもしれません。
日本航空のOBらで作る「JAL企業年金の改定について考える会」は5日、
政府が検討している企業年金の給付水準引き下げに反対する要請文を長妻厚生
労働相あてに提出した。
と新聞報道にありました。政府の論理は、税金で資金注入するのだから、それ
を年金の財源に使われては、国民の理解が得られない、というものです。
それも一理ありますが、日航の元社員の皆さんにとっては死活問題かもしれま
せんね。経営の悪化は経営者のミスなのに、なぜ……という思いもあるでしょ
うし。
なにしろ、それほど老後の資金には、皆、神経をとがらせています。
最低限の生活を送る経済的基盤がほしい。
健康ならいいが、もし病気になったら心配。
自分の葬式の費用ぐらいは。
介護施設に入る時に困らないように。
こう考えてみると、心配すべきことが山積みで、なんと人生とはややこしいも
のか、と頭を抱えたくなります。
家内の親戚がドイツに住んでいます。時々、ネットでチャットするんですが、
彼らは一日中、パソコンがオンラインになっているのです。よくよく聞いてみ
ると、失業中とのことでした。そのわりにはいい暮らしをしています。
衣食住で、困っている様子はありません。いわゆる生活保護のような、政府の
福利厚生によって、保障を受けているようです。なんと、極楽のようなところ
ではありませんか。日本で失業者が住むところもなく、ネット難民となって、
社会問題となっている国とは、えらい違いじゃないでしょうか。
もちろん、ドイツにはドイツの問題があるのでしょうが……。
老後をどうするか、にこんなにも悩まなくてもいい社会があればいいのです
が。
先日、NHKのクローズアップ現代では、テーマは「食事」でした。
寝たきりの老人が、それまでは流動食ばかり食べていたのに、
普通の食事を噛んで食べるようになったら、元気が出て、
それまではほとんど発話がなかったのに、たくさん話すようになったということでした。
物を噛んで食べることは人間としての基本的動作です。
眠ること、排泄することなども基本的な行動ですが、
これらはたぶん、人の助けを得ながらでもできるのでしょうが、
自分の歯で噛んで食べるということは、時になおざりにされて
いるのでしょう。
それをおろそかにしていると、すべてがおろそかにになってくる。
老人が体を動かせないのは、動かそうという気がない、
という場合が多いようです。
今さらもう、体を動かして自分でやろうと思っても、
意味が見いだせないのかもしれません。それよりも、
じっとしていたら、だれかが動かしてやってくれるだろう。
そんなアキラメが、老人にはあるような気がします。
英語で言えばモチベーションの低下ともいえるでしょう。
声帯には異常がないのに、心理的な原因で声が出ない、
という人も聞いたことがあります。出ないのではなく、
出さないのですが、本人には、そういう自覚はないのです。
本人にとっては「出ない」。老人も自覚なしに、
あきらめていることが多いのかもしれません。
以前、これもテレビ番組でしたが、高齢者でも
トレーニングすれば筋肉が増えるという話を聞きました。
人間の能力には驚かされます。
親鸞会で話を聞いている知人から聞いたことですが、
人間の行いには3つあり、心と体と口だそうですが、
体や口を動かすのは心だから、心を一番重んじるのが
仏教だと言っていました。まさにその通りで、
心が念ずるからいろんな行動が起きる。
介護や医学にも、もっともっと心を重んじる処置が増えると
高齢者や患者さんのクオリティーオブライフが高まる、
のではないかと思います。