よく年を取ると頑固になると言われますが、ある科学者は、
年を取ったから頑固になるのではないと反論しています。
「高齢になって頑固になる人は、若いころから頑固だった人だ」
と言うのです。うーん、と深く頷かされるところがあります。
確かに老化によって前頭葉の働きが鈍くなり、
感情が抑えられなくなる、ということはあるでしょう。
しかし、それは現象の表面だけを見ていると言えます。
なぜかといえば、老人の全てが頑固になる訳ではないからです。
親鸞会で仏教の話を聞いている友人が、よく、
「因果の道理」ということを話してくれます。
話せば長くなりますが、世の中のことは全て原因と結果が
密接に関係していて、原因なしに結果が現れることはない
すべての結果には原因があるということです。
そして、未来の結果の原因は、みな現在にあるといいます。
年を取ってから現れるいろんな結果の原因の多くは、
若いころにあったということです。
分かりやすいのが、肉体の病気でしょう。糖尿病とか、
ガンとかの成人病も、今では生活習慣病と言われます。
長年の生活習慣が原因だからです。
食生活などの目に見える習慣もそうですが、目に見えない、
心の中で行われる、思考の習慣も、大事にしていきたいものです。
若いうちに作った原因のすべてが老後に一度に出てくるとしたら、
こんな恐ろしいことはないからです。
昨日のNHKの「クローズアップ現代」は、
社会的弱者に救いの手をさしのべるNPOを特集していました。
病気で外出がままならない子供への支援とか、
行政では対応できないサービスを提供しているNPOが
たくさんあることを知りました。
今話題になっている「高校の無償化」とか、「子供手当」にしても、
国民一律の対応では、いろんな欠陥が指摘されています。
(もともと授業料を免除されていた、本当に困っている人には
何の恩恵ももたらさないとか)
結局のところ、行政というのは、かゆいところに手が届く
という対応は、もともと不得手なのです。
年金とか、介護施設の問題は、国の制度の問題であり、
また箱モノであり、一般の国民がどうこうできる問題ではありません。
そんなものがたとえ充実していなくても、いや、
充実しているところは少数派でしょう。
「社会が悪い」、「◎◎◎が悪い」と制度の不備捜しをする前に、
私たちのもっと身近なところに、老後を明るく楽しく過ごすヒントが
隠されていないか、もっと考えてみなければと思います。
住友信託銀行が、老後の生活資金を試算しています。
http://senior.sumitomotrust.co.jp/kikou/secondlife/lifeplan/lp04.html
これを見ると、老後に新たに支払いが必要となるお金もあるということで、驚きました。たとえば、健康保険料です。在職中は、半分は会社負担ですが、退職とともに、全額自己負担になります。
そんなことを含めて試算すると、だいたい月21万円というところのようです。
こういう試算は、平均的な人を想定していますが、もちろん、人生いろいろですから、必要な額も幅が出てくるでしょう。働いている今でさえ、そんなにもらってないという人もありますから。
よく老後の人生設計が大事といいます。生命保険の営業の人は、人生設計のフローチャートのようなものを見せてくれます。何歳で結婚して、子供は何人、子供が卒業するころにはあれして、これして、と。老後の資金も今から計算しておかないと、と警鐘を鳴らします。
20代のころ、私もそのように人生設計を考えてみたこともありましたが、実際は、所期の設計とは全く違った人生を歩んでいます。人生には不測の事態が多すぎます。
そこで、不測の事態に備えて、入院費用はこれだけ、リフォーム費用はこれだけ、◎◎◎のためにはこれだけとまた、資金需要が増えていきます。そして最後は自分の葬儀費用でしょうか。最大の不測の事態ですね。
いつ仕事を止めるか、までは計画も立てられますか、いつまでこの世にいるかは、全く計画が立ちません。未来を考えるのは、難しいものです。
友人が親鸞会 (http://www.shinrankai.net/)で仏教の話を聞いていますが、何もかも不確実なこの世界で、老後よりも確実に訪れるのが「後生」だと彼は言います。確かに、若くして死んでしまえば、老後はないわけですが、後生は確実に訪れます。
その設計は、どうするのか。21世紀はそういうことが、もっと問題になってくるのではないかという気がします。
今や老後と言っても、20年~30年あると言われます。
これは、平均寿命を生き抜いたならば、という前提条件に立っています。
昨年末だったと思いますが、老後をどう過ごすかを長年研究していた男性が、
60歳を少し越えた年齢で亡くなったというニュースを聞きました。
改めて、老後というのは、全員にあるものではないんだな、ということに気付
きました。
さて、これも以前、NHKのテレビ番組で見たのですが、幼児とお年寄りが一
緒に助け合って暮らす施設が紹介されていました。
軽い認知症になったお年寄りが、5つか6つの子供の世話という仕事を与えら
れると、やる気が出て、それまで自分では歩行できなかったのに、子供を追っ
て歩いているのに、みんな、びっくりしていました。
子供は子供で、偏見を持たずにお年寄りと接するので、非常にいい関係ができ
ていました。
四国か関西のどこかだったかと思いますが、いろんな家族や独り者が一緒に共
同生活するアパートがあるそうですが、都会のマンションのような冷たい隣人
関係ではなく、温かく濃密な関係を持って、明るく朗らかに生活している。
やはり人間は一人では生きていけません。このような家族を越えたヨコのつな
がりによるコミュニティーを復活させることで、穏やかな老後を過ごすことが
できるような気がします。
高額な保証金や入居費を払って入った老人施設で、寂しく暮らす人もありま
す。そんなお金を持たないため、苦しんでいる人もあります。
お金があればいいですが、もっと大事なものを見失ってはいないだろうかと、
今の生き方も見直してみるのもいいかもしれません。
日本航空のOBらで作る「JAL企業年金の改定について考える会」は5日、
政府が検討している企業年金の給付水準引き下げに反対する要請文を長妻厚生
労働相あてに提出した。
と新聞報道にありました。政府の論理は、税金で資金注入するのだから、それ
を年金の財源に使われては、国民の理解が得られない、というものです。
それも一理ありますが、日航の元社員の皆さんにとっては死活問題かもしれま
せんね。経営の悪化は経営者のミスなのに、なぜ……という思いもあるでしょ
うし。
なにしろ、それほど老後の資金には、皆、神経をとがらせています。
最低限の生活を送る経済的基盤がほしい。
健康ならいいが、もし病気になったら心配。
自分の葬式の費用ぐらいは。
介護施設に入る時に困らないように。
こう考えてみると、心配すべきことが山積みで、なんと人生とはややこしいも
のか、と頭を抱えたくなります。
家内の親戚がドイツに住んでいます。時々、ネットでチャットするんですが、
彼らは一日中、パソコンがオンラインになっているのです。よくよく聞いてみ
ると、失業中とのことでした。そのわりにはいい暮らしをしています。
衣食住で、困っている様子はありません。いわゆる生活保護のような、政府の
福利厚生によって、保障を受けているようです。なんと、極楽のようなところ
ではありませんか。日本で失業者が住むところもなく、ネット難民となって、
社会問題となっている国とは、えらい違いじゃないでしょうか。
もちろん、ドイツにはドイツの問題があるのでしょうが……。
老後をどうするか、にこんなにも悩まなくてもいい社会があればいいのです
が。
先日、NHKのクローズアップ現代では、テーマは「食事」でした。
寝たきりの老人が、それまでは流動食ばかり食べていたのに、
普通の食事を噛んで食べるようになったら、元気が出て、
それまではほとんど発話がなかったのに、たくさん話すようになったということでした。
物を噛んで食べることは人間としての基本的動作です。
眠ること、排泄することなども基本的な行動ですが、
これらはたぶん、人の助けを得ながらでもできるのでしょうが、
自分の歯で噛んで食べるということは、時になおざりにされて
いるのでしょう。
それをおろそかにしていると、すべてがおろそかにになってくる。
老人が体を動かせないのは、動かそうという気がない、
という場合が多いようです。
今さらもう、体を動かして自分でやろうと思っても、
意味が見いだせないのかもしれません。それよりも、
じっとしていたら、だれかが動かしてやってくれるだろう。
そんなアキラメが、老人にはあるような気がします。
英語で言えばモチベーションの低下ともいえるでしょう。
声帯には異常がないのに、心理的な原因で声が出ない、
という人も聞いたことがあります。出ないのではなく、
出さないのですが、本人には、そういう自覚はないのです。
本人にとっては「出ない」。老人も自覚なしに、
あきらめていることが多いのかもしれません。
以前、これもテレビ番組でしたが、高齢者でも
トレーニングすれば筋肉が増えるという話を聞きました。
人間の能力には驚かされます。
親鸞会で話を聞いている知人から聞いたことですが、
人間の行いには3つあり、心と体と口だそうですが、
体や口を動かすのは心だから、心を一番重んじるのが
仏教だと言っていました。まさにその通りで、
心が念ずるからいろんな行動が起きる。
介護や医学にも、もっともっと心を重んじる処置が増えると
高齢者や患者さんのクオリティーオブライフが高まる、
のではないかと思います。
私の知人にまだ40代後半でありながら、老後が心配になってきた、
という主婦がいます。テレビの情報番組やドラマなどで、夫を若くして亡くした妻の苦労や、
年を取ってから子供に捨てられて、孤独に苦しむ女性の姿を見て、そう思うようになったと言います。
彼女は、見た目は若いので、私も、当初は意外に思いました。
一般的に、人間というものは、将来について漠然とした不安を持つものだと言えます。
たとえ現在は、経済的にも肉体的にも不自由がなくても、この状態がいつまでも
続くわけではないと、感じていると思います。それが高じると、芥川龍之介のように、
将来に対する漠然とした不安が理由で自殺してしまう場合もあるでしょう。
それほど、不安というものは恐ろしいものです。
今朝もそんなことを考えながら、というか、ほとんど考えていなかったかもしれませんが、
朝食を取っていた時、新聞の片隅の記事が目に飛び込んできました。アインシュタイン語録の紹介で、
「私は未来のことをけっして考えない。どうせじきに来ることなんだからね」
というものでした。さっそく家内に話して、反応を見ました。
「あまりにも短くて、意味がよく分からない」とのことでした。
確かにそのとおりです。アインシュタインは、何を考えていたのか?
天才には、凡人には分かりかねる部分があります。
ただ、一つだけ確かなのは、こんな言葉が注目されるのは、みんな未来のことで悩んでいる
という事実があるからなのでしょう。
たかだか5日間の大型連休をどう過ごすか、ということでも大分悩んだ私にしてみれば、
長い長い老後をいかに過ごすか、は、本当に大きな問題だと改めて認識しました。
社会福祉法人全国社会福祉協議会では、老後を上手に生きたいと思っている方に役立つ、自らの人生をふりかえり、これからの地域社会での生活を描けるよう、気軽に取り組める『老後の生き方・暮らし方ノート』を無償ダウンロード提供しています。
この『老後の生き方・暮らし方ノート』を自分で作成することによって、老後の生き方、地域社会との関わり方を考えようというものです。
老後の生き方には、みなさん同じように悩みを抱えていらっしゃいます。
まずは自己分析を行うことで、老後の生き方を考える上でのきっかけにしようというものです。
このように老後の生き方に迷ったら、「歎異抄(たんにしょう)」を読んでみるのもいいかもしれません。歎異抄とは、親鸞聖人とそのお弟子さんの唯円さんとの会話が中心になっており、生き方に関するヒントになりそうなことがいっぱい書いてあると思います。
浄土真宗親鸞会のホームページでも歎異抄のことが詳しく解説してあるので、読む前にチェックしてみるのもいいかもしれません。
「老後」とは名ばかり、実は20年以上も続く立派な「第二の人生」なのです。
これからの「第二の人生」を豊かにできるかどうかは自分次第。生きることの意味、人生の目的を明らかにして生きることが大切だと思います。
老後を迎えた人、これから老後を迎える人、老後なんてまだまだ先と思ってる人、全ての人に「歎異抄」を読んでみてもらいたいと思います。何度も読み返してみるのがおすすめです。
10代・20代の頃は楽しくて生きる意味なんて考えたことはありませんでした。
30代・40代は仕事に、遊びに、子育てに忙しくて、生きる意味なんて考えられませんでした。
50代になって身体を壊して、生きる意味を考えるきっかけに。
60代になって定年退職・リタイアをきっかけに初めて生きる意味について考えました。
このようにおっしゃる方がいました。
老後になって初めて生きる意味を考えたと。
長く生きてきた割には、「生きること」を知らずにきたとも言えます。
親鸞会のホームページには親鸞聖人の書かれた「正信偈(しょうしんげ)」のことが詳しく書かれています。
親鸞聖人は「正信偈」の冒頭で「帰命無量寿如来、南無不可思議光」<親鸞は弥陀(みだ)に救われたぞ、親鸞は弥陀に助けられたぞ>と阿弥陀仏(あみだぶつ)に救い摂られたことを二度叫ばれて「喜び」を表現されています。
阿弥陀仏の本願によって、生命の歓喜あふれる身になったのでとも聞いたことがあります。
そして、これほどの喜びを皆も同じように感じてほしいという願いが込められています。
生きる意味、人生の大切さ、人生の目的を知るために今までは触れてこなかったことでも
学んでみるのも大事かも知れません。
その上で、仏教には歴史もあり、深く人間というものが洞察されているので、オススメです。
「生きる」意味を知らずに生きることは、何も見えない暗闇を駆け抜けるがごとくに危険なことだと言えます。暗闇を照らす光の答えが「生きる意味」なのではないでしょうか。
「どうしていいかわからない」、「何をきっかけにすればいいの?」というひとは親鸞聖人のお言葉に触れてみるのもいいかもしれません。
老後のことを不安に思って「人生相談」を求める人が増えています。
昨年来の世界的大不況、長引く政治不信、少子高齢化から連なる年金問題など、将来を描けなくて不安に感じている人が増えているのだと思います。
今まさに老後を迎えている人も、介護のこと、孤独、生活苦などたくさんの悩みを抱えていらっしゃいます。こうした悩みは尽きることがありませんが、なぜなのでしょうか。
「生きるのが難しい」と感じている人が年々増えてきているように感じられます。
自殺者が毎年3万人以上いることをご存知でしょうか。これほど医療技術が発達して、死ぬことが難しくなっているというのに、自殺者の数が増え続けているのは皮肉だと思いませんか。
こうした背景には「生きることの意味」を見出せずにいる現代人が多いことがあると思います。親鸞会のホームページでは、親鸞聖人や蓮如上人といった偉人の言葉を通して「生きる」ことの意味を分かりやすく伝えています。生きることが難しい、なぜ生きているのか、といった疑問に応えようとしています。
現代社会では特に「老後」と言われてからも、20年以上生きる世の中になりました。人生は突っ走るだけの生き方には長くなりすぎたのかもしれません。しかし後戻りすることも出来ません。
老後は「第二の人生」とも言います。これからの人生を考えるときに、もう一度「生きる意味」を問い直してみてはいかがでしょうか。
時間はあります。豊かな人生になるか、貧しい人生になるかはあなた次第です。